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■人質だったからこそ |
国家の対立に翻弄された。だからこそ、イラク攻撃には反対だー。 湾岸危機のときの「人質」がそう訴えている。福岡市に住む元三井物産社員、山口実さん(53)。90年8月、イラク軍が進行したクウェートに駐在していてイラクのダムへ連行され、約100日間「人間の盾」にされた。「戦争への加担は日本に危険を呼び込むだけだ」 戦争に加担したらテロリストがやって来る イラク軍の侵攻は、山口さんがクウェート三井物産の社員として現地にいた90年8月。日本大使館にこもり、邦人約250人分の食料調達に走った。至る所でイラク軍の検問があったが、在留証明書を見せて「ヤパーニー(日本人)」と言うと、兵士達は友好的に通してくれた。 日本政府が原油輸入禁止など経済制裁に動き出すと、険悪になった。日本政府の勧告でバグダッドへ移った。だが空港で武装したイラク人に迎えられ、ホテルでパスポートを取り上げられた。「今は戦争だ。そして日本は敵だ」と言われた。それが人質生活の始まりだった。 翌日、中東諸国を歴訪した中山太郎外相(当時)は「専守防衛の自衛隊でやってきたが、必要な法律を整備しなければならない」と自衛隊の派遣に言及した。山口さんは「日本は米国にいい格好をしようとして先走り、自分達を危険に追いやった」と今も批判する。 山口さんは北西部のユーフラチス川沿いにある水力発電用ダムへ送られた。施設に拘束され、食事はインドのナンに似たパンが1個にチーズと紅茶。2ヶ月で体重が10キロ落ちた。一緒にいた米、英、仏、などの人質はやがてそれぞれの国の平和団体が連れて帰った。外務省からは「差し入れ」があった。日本酒や賞味期間切れのインスタントラーメンもあった。「酒なんか飲んでどうしろっていうんだ」と日本人同士で話した。 12月、残った人質全員の解放をイラク政府が決定、山口さんらも帰国した。年明け、多国籍軍は攻撃を開始。山口さんのいたダムは5日目に破壊されたと聞いた。「サダム・フセインはもちろん嫌い」だ。だが自分とイラクの人の命、どちらの方が大切ということはない。 「戦争で武器を売った米国の責任は重い。根本的な問題を問わず、攻撃を正当化してほしくない」 米軍支援のためにイージス艦を送った日本には、湾岸危機のとき以上に危うさを感じる。「有事法制にも反対だ。 戦争の準備をすれば、日本に来る気もなかったテロリストがくる。今や日本は米英の次にイラクに敵対的な態度をとっているのだから」 |
朝日新聞2003年2月15日朝刊 |
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